まきまきのボヤき

長野パルセイロ、サッカー、その他ボヤき

このクラブらしさってなんだろう

曲がりなりにもこのクラブを追いかけ続けて、もう10数年になる。

最初はただ、サッカー不毛の地「長野県」でレベルの高いサッカーが見たいだけだった。
近くにJリーグも無く、今の時代のようにサブスクでいつでも海外のサッカーが見られるような環境でもなく、ただ純粋にサッカーが好き、暇な日には友達とサッカーをやりたいって思っていた一人のサッカーファンが、ただレベルの高い試合を見たいと思った時、一番近くにあったのが「長野市」で開催される「北信越サッカーリーグ」の試合、というだけだった。

そこからはたまに結果を追いかけたり、また試合を見に行ったりはしたけども、別に応援したい、とか、頑張ってほしいとかはまったく思わず、何人か在籍していた元Jリーガーのプレーを見たいだけ、「あ、この選手、今ここにいるんだ」なんて楽しみを見つけるだけで、クラブそのものには興味は無かった。松本山雅だって気にせず見たし、北信越リーグでは勝って当たり前だったし、その内さっさとJFLに行くんだろうなと当時は思っていた。

たまに結果だけは見ていた。また、地域サッカーリーグで負けた。
また、負けた。今年も負けた。

こんなのばっかり。

在籍している選手も全然知らないし、負け続けるうちに、元々そんなに熱意も無かったし、だんだんと興味も無くなり、いつの間にか結果もまったく追いかけなくなっていた。

その間に、気が付いたらJFLに上がっていた。気が付いたらJ3にいた。

それでもまったく関心は無く、他にやっていた趣味の数々の海に埋没されていたなかで、辛うじてJ3というJリーグの一番下に新設されたカテゴリーの中で良い順位にはいる、ということだけはぼんやりと知っていた。

そんな中、J2との入れ替え戦になった、という話だけは聞いた。相手は讃岐というクラブらしい。全然知らないけど、聞いたことないし、まあ勝てるだろう。

ついにJ2まできたんだなあと、昔はたまに見に行ってたなあと、時間的にも丁度見られるし、ちょっと見てみようかと思い、少し遠くのサッカーバーで観戦した。応援するわけでもなく、ただの見物客として。隣の家に住んでいた小さな子供が有名人になるのを見守るような気持ちで。

また、負けた。

北信越リーグで見せていたあの強さは欠片もなく、パスサッカーを標ぼうし10得点していた姿は欠片もなく、ただひたすらボールを追いかけ、ボールを蹴り、失点し、何もできずに負けていた。

その時、何故か僕の気持ちが少し変わった。いや、変わってしまったというべきか。

翌年のホーム開幕戦、僕は何故か長野Uスタジアムにいた。
他の予定を入れることもできたし、お金もかかった。新しく完成したというサッカー専用スタジアムにも興味があった。

でも、それより何より、何故かこのJ3という一番下のカテゴリーにいるこのクラブが気になってしまった。
選手も辛うじて何人か知っている、戦力的にはこのカテゴリーでは優勝候補なのだろう。あの北信越リーグ時代のようにきっと勝てる。今度は優勝して、J2にはすぐ行ける。それを見届けよう。そう思っていた。

また、負けた。

負けるたびに、次こそ、次こそ勝てると、またスタジアムに行った。関東で開催されるアウェイにも行った。あの頃のようなパスサッカーが見たかった。綺麗で、楽しくて、このクラブは強いんだと思わせてくれるあの夢のようなパスサッカーが見たかった。簡単に得点できていた、相手を圧倒する強いクラブだったあの頃の姿をどこまでもずっと追いかけていた。そんな気持ちを持ちながら。

そこにあったのは、空虚で無色で無感情なサッカーだった。

選手はきっと実力はある、監督だってきっと力量はある。でも、パスが繋がるわけでもない、相手を圧倒するわけでもない、一人一人がそれぞれ頑張ってるただそれだけ。昔ならそれでも勝てただろう、でも、J3はそんなに甘くない。

選手は変わる、監督は変わる、でも勝てない。また、負けた。有名な選手だって何人も入った。聞いたことのある名前の監督も来た。みんな経歴は華やかで、北信越リーグ時代からすれば想像もできないような選手だって加入したし、北信越リーグ時代に比べればピッチもスタジアムも立派になった。なのに、結果が出ない。あの頃の強さなんて、どこにもなかった。

来年こそ。何度繰り返した言葉だろう。
来年こそ。あのパスサッカーは戻るのか。
来年こそ。誰が来れば結果が出るのだろう。

楽しかった夢をもう一度見るためにまた眠るみたいに、あの頃の強さを追い掛けてスタジアムに行っては、無情な現実に引き戻されて、それでもまだ夢を見ていたくて。大きな声だって出した。文句も言ってしまった。諦めたことだってある。あれはきっと応援していたからじゃない、自分のためだ。自分が勝手に期待してただけ。自分の中での理想と目の前の現実のギャップが大きすぎて、自分の中で受け入れられなかっただけ。勝てるチーム、優勝できるチームにただ乗っかっていい気になってただけなんだと思う。あの頃に当たり前のように出来ていた勝利の味を知ってしまっていたから、勝てない現実が苦しかった。甘美な果実の味を知ってしまったら、もうそれが無い人生は考えられなくなる。いつかきっとまた味わえるはず。そう思って何度も繰り返し勝利の果実を求めては見つからなくて、それの繰り返し。

いつしか勝つことすらもままならなくなってきた。

空虚で無色で無感情なサッカーは何色にも染まることなく、ただ人が次々に入れ替わるだけ。パスもドリブルも、相手を圧倒する訳でもない。ガムシャラにひたむきに頑張ってそれで終わり。順位表なんて見たくも無かった、ただ昇格争いレースからは早々に脱落していたことだけは分かっていた。それでも一度、昇格に大きく近付いた2020シーズンは心から湧き上がるものがあったし、あの入れ替え戦の時に感じたJ2という未知の世界をいよいよ現実のものにするときがきたと本当に本当に思っていた。

また、負けた。

多分こういう星の元に生まれたクラブなのだろう。きっとこれが運命。最初から、知らない方が良かった。見ない方が良かった。どこかで一つボタンがしっかりハマっていれば結果も違っただろう。この頃にはもう、パスサッカーも、強いクラブも、華やかな経歴の人たちも、何もかもが無くなっていた。

それでも応援し続ける人もいる、これから応援しようかなと思った人もいる。そっと離れていった人もいるだろうし、やむを得ず離れた人もいるだろう。なぜ、このクラブを応援するのか、地元だから?縁があるから?ただ気になったから?まだ夢を見ていたいから?人それぞれだと思うけど、正直僕は何度も諦め、声を出すことを辞め、距離を置いて傍観し、自分の身と心を守ろうとしていた。

そんな時にやってきた、異国からの監督。

この監督は、僕が無色だと思っていたクラブに色を塗ろうとしていた。
この監督は、僕が運命だと思っていたクラブの歴史を変えようとしていた。
この監督は、僕が無感情だと思っていたクラブに情熱を注ごうとしていた。
この監督は、僕に傍観を許してくれない熱意と決意を持っていた。

決して強いクラブになってる訳じゃない。あの頃みたいに何点取って勝つかという価値観とは遠くかけ離れた苦戦ばかりするし、何本もパスを繋いで華麗なゴールを決めるようなレベルの高い内容なんて全く無くて、泥臭く、愚直で、お世辞にも華麗なんて言えないゴールをもぎ取っていくだけ。何度も倒れて、倒されて、相手に文句を言われ、「あそこのサッカーは荒い」と言われて嫌われて。僕の好きだった頃のクラブとは、まるで正反対のサッカー。もし僕が初めて北信越サッカーリーグを見に行った日に、もしこのクラブがこのサッカーをやっていたら、僕はきっとここまでこのクラブを追い掛け続けることは無かったと思う。それほどにカッコ悪いし、ボロボロだし、ギリギリだし、こんなに苦しい思いをしてまで戦わなきゃいけないのかという気持ちになる。それでも今の僕は、ずっと追い掛け続けていたあの綺麗で強かった頃のクラブよりも、今のクラブの方が好きになっている。

痛々しいくらいに熱くて、眩しいくらいにオレンジで、ダサいくらいに情熱的なこのサッカーが、経歴も分からない選手たちが全身汚れて走り回るこのサッカーが、強くもないこのサッカーが、長野県という田舎で異国の監督がやってるこのサッカーが、僕は本当に好きだ。

毎試合行く訳でもない、それでも結果は必ずチェックしている。試合だってしっかり見てる訳でもない。それでも選手の特徴や顔は覚えている。戦術を知った訳でもない。それでもやろうとしていることは伝わってくる。感情、熱意、気持ち、戦い、パッション、デュエル、ひたむき、ガムシャラ、こんなに選手を鼓舞して、自らも声をあげ、時には批判を浴び、それでも先陣を切って立ち向かっているのに、ピッチ外で話す言葉はとても丁寧で、人を惹きつける、信じてみたくなる人たらし。そんな監督に、僕も魅せられてしまった。

もう無関心ではいられない。勝利の味は忘れそうだけど、このクラブの新しい味を知ってしまった。優勝候補だなんてとっくの昔話、負けることの方が多い時だってあった。ネガティブな感情が爆発しそうになることだって何回もあった。ただの見物客だった頃に感じた敗北とは違う気持ち。当事者になってしまっている今はこう思える。

また、負けた。でも、次こそ。

次なんて無いのかもしれない、来年こそなんて無いのかもしれない。
それなら、今はこのクラブをとことん楽しんで、付き合ってやろう。
とことん味わって、その上で勝てたら最高だ。

応援する気持ちは人それぞれ、それぞれが応援するそれぞれのクラブにどんな気持ちを持っているかも人それぞれ。みんなの関わり方なんてそれぞれが決めることだし、何も強制できない。ただ、そこにサッカーというスポーツがあって、その人なりに関わっていければ良いと思う。そんなサッカーが人生に彩りを与えてくれた、味を教えてくれた、一度丸めた折り紙を広げてももう元には戻らないように、失敗してしまった子供を見守るように、良くも悪くも心に刻まれてしまったこの感情を、僕はしばらくは大事にしたいと思う。願わくば、このクラブの歴史が遠い未来まで続いていきますように。